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キングダム司馬錯(しばさく)を史実と比較! 司馬尚(しばしょう)との関係性も調査

キングダム司馬錯(しばさく)を史実と比較! 司馬尚(しばしょう)との関係性も調査

史実をもとに描かれたキングダム作中において、謎に包まれた六大将軍の司馬錯ですが、

キングダムのもとになった史記をまとめた司馬遷(せん)や作中に登場する司馬尚(しょう)などと名前が似ていることもあり、気になっている方もいるのではないでしょうか。

調べてみると司馬尚(しょう)や司馬遷(せん)との関係や、キングダムという作品そのものとの関係も深いことがわかりました!

そこで今回は司馬錯の史実や司馬尚や司馬遷との関係など、詳しく解説していきたいと思います!

  • キングダム司馬錯(しばさく)を史実と比較!
  • キングダム司馬錯と司馬尚(しばしょう)の関係
  • 司馬錯の子孫は史記の著者司馬遷(しばせん)

ご興味のある方は是非最後まで読んでいってください!

キングダム司馬錯(しばさく)を史実と比較!

司馬錯は、キングダム作中でもその実績は史実をベースに描かれているようです。

司馬錯はキングダム作中では登場シーンが少なく、謎に包まれた人物となっています。

数少ない描写の中でもヒントになりそうな情報がありましたので、以下の点について詳しく解説していきます。

  • 六大将軍
  • 実績とプロフィールについて

調査した結果、史実の司馬錯は王騎や白起よりも活躍していたのではないかという衝撃の結果になりました!

六大将軍

司馬錯は作中では六大将軍であり、強い武将として描かれています。

六大将軍はキングダムのオリジナルの地位ですが、白起(はくき)や王齕(おうこつ)といった屈強で実績を残している有名武将も属する強い武将の地位だからです。

要するに六大将軍とは、選ばれた実績のある、秦国最強の6人の将軍を指しているのです。

このことから、司馬錯は少なくとも秦の中で力のある武将で、その功績が認められていたことは分かります。

具体的な功績については記載がありませんが、実績のない武将がいきなり六大将軍になることはないので、何かしら多くの功績を立てていたのでしょう。

キングダム六大将軍について詳しく知りたい方はこちら↓

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実績とプロフィールについて

司馬錯はキングダム作中では特徴がないですが、史実では作中とは違った印象を持つ人物として描かれています。

作中では六大将軍ということくらいしか情報がなく、具体的な人物像が分かりません。

しかし、史実では王騎以上に活躍した人物として記録が残っています。

史実では王騎は約4年ほどの間の記録しか明記されていないのに対して、司馬錯は紀元前311年から紀元前280年ごろまでの約30年という長期間の実績が残っています。

しかも、その間の実績は7回ほどの勝利のみの記録となっています。

作中ではどちらかというと地味な感じですが、史実と比較してみると非常に強くて、当時にはめずらしく長い間活躍していました。

記録だけで見れば王騎や白起などの名だたる武将よりも実際には強く有名な武将だったのかといえるかもしれませんね。

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司馬錯(しばさく)は史実に実在した?

司馬錯は歴史上実際に存在した人物で、中国戦国時代の秦の将軍であり、長平の戦いで白起の副将として戦った司馬靳という人物の祖父です。

また、キングダムのモデルとなった「史記」をまとめた司馬遷の祖先でもあります。

先ほど解説した通り、司馬錯に関しては多くの記録が残っていますので、今回は特に興味深い点についてまとめてみました。

  • 秦が大国になったきっかけ
  • 30年間の活躍

司馬錯は、中華統一に関わっていた人物だということがわかりましたので詳しく解説していきますね!

秦が大国になったきっかけ

司馬錯は、秦が中華を統一するほど巨大な国になったきっかけを作った人物です。

司馬錯の最も印象的な記録は紀元前316年ごろの、秦国が大きな国となったきっかけとなる戦いについてです。

この戦いでは司馬錯が提案した作戦が成功し、秦は大きな国土を手に入れます。

また、このときには他の武将も作戦を提案しており、最終的には王が司馬錯の作戦を実行する命令を出したようです。

まだ実績もない当初からすでに王からも信頼が厚かったようで、それくらい優れた人物だったのかもしれませんね。

30年間の活躍

司馬錯は30年以上もの長い期間にわたり中国で活躍をしていた武将です。

紀元前316年ごろから始まり、最後の記録は紀元前280年ごろのため実質36年になります。

しかも、36年間でおよそ7回の戦いに勝利した記録もあります。

この当時の記録はそこまで多く残っていない人物が多く、白起や王騎といったキングダム作中では実績の多い人物でさえ3~4つほどしか記録はありません。

こうしたことから、司馬錯は史実からみればかなり実績があり、長い間秦で活躍した武将であることがわかります。

作中ではあまりよくわからない人物でも、史実を見ていくと魅力もわかってきますね。

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キングダムの司馬錯(しばさく)について

キングダムでの司馬錯は六大将軍のひとりとして描かれています。

こちらの事実は、10巻の106話にて六大将軍として司馬錯が初登場したことから判明します。

しかし、作中では司馬錯は六大将軍であることは分かりますが、詳細についてはよくわからないところも多いです。

106話で紹介された際には、顔の描写とともに六大将軍のひとりであることだけが明かされます。

その後も司馬錯が具体的に何をしたのか、他の六大将軍たちのような細かい説明や描写はありません。

106話を見た印象は、人を率いて戦うことを示唆しているようにも見えるため、史実通りに軍を率いて実績をあげていた人物である可能性が高いです。

また、六大将軍であったということは、王からは戦いの際に各自の判断で自由に動いていいという許可を得ていたことになります。

王が実績のない信用できない人物にそこまでの権限を与えるとは考えづらいですので、司馬錯は王からの信頼は厚く、優れた武将であった可能性が高いでしょう。

作中の顔は若いですが、白起とともに戦った人物の祖父でもありますし、六大将軍の中でもかなりのベテランなのかもしれませんね。

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キングダム司馬錯と司馬尚(しばしょう)の関係

調べた結果、司馬錯と司馬尚は特に深い関係にはありません。

名前もどことなく似ている感じがしますが、血縁関係というわけでもないようです。

そもそも司馬尚とは、どのような人物なのかについても触れたいと思います。

  • 司馬尚とはどのような人物か?
  • 司馬錯と司馬尚について

順番に解説していきますね!

司馬尚とはどのような人物か?

馬尚は、キングダムの主人公信や司馬錯などが所属する秦国の敵国に当たる趙国の武将です。

作中で燕(えん)国の武将オルドが2万の軍を率いて趙を攻めた際、たった5千の兵で司馬尚が迎え撃ち、相手が撤退するまで持ちこたえたという描写もあるくらい有能な武将として描かれています。

また、そのような活躍のおかげか、キングダム作中での司馬尚は趙の中でも三大天と呼ばれる立場に任命されています。

しかし、司馬尚はこれを無視(拒否)しているそうで、有能ではあるものの何か癖のある人物のようです。

司馬錯と司馬尚について

先ほど解説した通り、名前は似ていますが司馬錯と司馬尚は敵同士の国に所属していて、特に関係性はありません。

司馬尚と関係があったのは李牧(りぼく)という趙国の将軍で、戦国の名将と呼ばれていたようです。

また、史実では司馬尚と司馬錯が生きていた時代も異なっています。

これからのことから、司馬錯と司馬尚は特に関係性は無かったといえるでしょう。

どちらも特別有能な武将であったことは間違いないですから、同じ時代を生きていたら良いライバルになっていたかもしれませんね。

司馬錯の子孫は史記の著者司馬遷(しばせん)

司馬錯はキングダムのモデルとなった歴史書「史記」をまとめた司馬遷(しばせん)の7代前の祖先(8世の祖)といわれています。

司馬遷は司馬錯が活躍したおよそ250年程後に登場する人物です。

史記はキングダムのルーツともいえるような存在ですので、ここから詳しく解説していきます!

  • 司馬遷について
  • 司馬錯と司馬遷のつながり

現代にも受け継がれている歴史書のルーツについて解説していきますね!

司馬遷について

司馬遷は教科書でも必ず出てくるくらい歴史的な価値のある人物で、史記と呼ばれる歴史書を編纂(へんさん)した人物です。

紀元前140年から紀元前86年ごろ、司馬遷は中国の春秋戦国時代について様々な書物を読み、歴史書としてそれらをまとめていました。

当時のことがまとめられた歴史書としては評価も高く、現代でも知らない人はいないというくらい有名で価値のある歴史書と言われています。

また、司馬一族は元々歴史や天文と関係のある一族であり、学者のような家系であったことがわかっています。

司馬錯と司馬遷のつながり

司馬遷は学者のような家系であったことは説明しましたが、祖先である司馬錯も無関係ではありません。

当時の学者などは、ある程度身分が高い人しか就くことができない職業でした。

司馬遷に関する史実によれば、祖先が戦で功績をあげたことと、代々学者の家系あるというような記載があります。

元々は司馬錯の時代は学者ではなく武将でしたので、戦国時代の実績のおかげで地位を手に入れ、学者の家系として代々続いていくことになったと考えられます。

つまり、司馬錯の活躍がなければ、現代でも高い評価を得ている史記そのものが誕生しなかった可能性もあります。

歴史上の司馬錯がいなければ、キングダムのモデルになった史記が無かったかもしれないと考えると、ファンとしては司馬錯にも司馬遷にも感謝ですね!

まとめ

今回は司馬錯について解説しましたが、みなさんいかがでしたか?

調査の結果は以下の通りでした!

Qキングダム司馬錯(しばさく)を史実と比較!

作中では史実に寄せて描かれています。

Qキングダム司馬錯と司馬尚(しばしょう)の関係

→名前は似ていますが、特に関係性はありませんでした。

Q司馬錯の子孫は史記の著者司馬遷(しばせん)

司馬遷は司馬錯の7代後の子孫です。

司馬錯も謎に包まれた人物ですが、史実と合わせて作品を読んでみると色々と想像が膨らみ、より楽しめそうですね!

最後までお読みいただきありがとうございました!

旧六大将軍の他の武将について知りたい方は以下の記事を参考にしてください!

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